立命館が通信制高校を構想する時代に、私たちは何を見なければならないのか
- 6 時間前
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立命館が通信制高校を構想しているという報道がありました。
このニュースを見たとき、私は「やはり、高校教育の前提が変わり始めている」と感じました。
通信制高校に関わってきた立場から見ると、この流れは突然起きたものではありません。ここ数年、通信制高校を取り巻く環境は明らかに変わっています。
以前の通信制高校は、どうしても「全日制に合わなかった生徒が行く場所」という見られ方をされることがありました。不登校、体調面の課題、人間関係のつまずき、家庭の事情など、さまざまな背景を持つ生徒たちを受け止める場として、通信制高校は重要な役割を果たしてきました。
弊社は創業から、これまで7年の間に3校の通信制高校の設立に携わって来ました。通信制高校の仕組みや教育の中身を考える。
その役割は、今後も変わらず大切です。
一方で、近年起きている変化は、それだけでは説明できません。
いまの通信制高校は、単なる「受け皿」ではなくなりつつあります。むしろ、自分の学び方を自分で選ぶための選択肢として、前向きに選ばれる場になり始めています。
これは、高校教育における大きな変化です。
N高・S高のような新しい学校の広がり、ベネッセや河合塾など教育大手の参入、そして大学による新たな構想。こうした動きは、通信制高校が教育の周辺領域ではなく、高校教育の中心的な選択肢の一つになりつつあることを示しているように感じます。
これまでの高校教育は、基本的に「毎日学校に通う」ことを前提に設計されてきました。同じ時間に登校し、同じ教室で、同じ時間割に沿って学ぶ。
もちろん、その形で力を伸ばす生徒はたくさんいます。全日制高校の価値がなくなるわけではありません。
ただ、すべての生徒にその形が合うわけではありません。
これは、教育の現場で生徒と関わっていると強く感じることです。
勉強ができないわけではない。能力がないわけでもない。やる気がないわけでもない。
ただ、学校という仕組みの中で、自分をうまく出せなくなってしまう生徒がいます。毎日同じ時間に通うことが大きな負担になる生徒もいます。人間関係の中で消耗してしまう生徒もいます。
一方で、学校の中だけでは物足りず、もっと社会とつながりたい、自分の関心を深めたい、外の世界で経験を積みたいという生徒もいます。
そうした生徒たちにとって、通信制高校は大きな可能性を持っています。
通信制高校の大きな特徴は、時間の使い方を変えられることです。
オンラインで学びながら、探究活動に取り組む。企業のプロジェクトに参加する。地域活動に関わる。留学に挑戦する。スポーツや芸術に本気で取り組む。自分の関心を深め、大学や社会につなげていく。
従来の全日制の時間割では実現しにくい学び方を、通信制高校では設計しやすい。ここに大きな可能性があります。
そして、この自由度は、これからのAI時代とも相性がよいと考えています。
AIが急速に進化する時代において、知識を覚えることだけでは十分ではありません。もちろん、基礎学力は必要です。知識が不要になるわけではありません。
しかし、これからより重要になるのは、何を疑問に思うのか、何を調べたいのか、誰とつながるのか、自分の関心をどう社会につなげるのか、そしてそれを自分の言葉で語れるのか、という力です。
私はこれまで、高校教育、大学教育、そして会社経営に関わってきました。その立場から見ても、社会に出てから本当に必要になるのは、言われたことを正確にこなす力だけではありません。
自分で問いを立てる。動いてみる。人に会う。失敗する。もう一度考える。そして、自分の言葉で意味づける。
こうした経験を若い時期に積むことは、とても大切です。
通信制高校は、その時間をつくりやすい。ここに、これからの高校教育の可能性があると感じています。
ただし、通信制高校を手放しで礼賛することはできません。
通信制高校を経験してきたからこそ、良さと同時に難しさも見えています。
通信制高校は、自由だからこそ難しいのです。
「自由にしていい」と言われて、その自由をうまく使いこなせる高校生は、実はそれほど多くありません。これは大人でも同じです。自由な時間があれば、誰もが自分の未来のために行動できるわけではありません。
何をしたらよいかわからない。やりたいことがまだ見つからない。生活リズムが崩れてしまう。レポートを後回しにしてしまう。人と会う時間が減ってしまう。誰にも相談しないまま、時間だけが過ぎてしまう。
通信制高校には、こうしたリスクもあります。
通信制の現場では、レポートの進み具合だけを見ていると、その生徒の本当の状態を見落とすことがあります。
単位は取れている。提出物も出している。しかし、進路の話になると急に言葉が止まってしまう生徒がいます。
逆に、何気ない雑談の中で出てきた一言に、その生徒の本音や関心が隠れていることもあります。
「実は、こういうことが気になっていて」「本当は、この分野に少し興味があって」「でも、自分には無理だと思っていて」
そうした言葉は、面談シートの項目を埋めるだけでは出てこないことがあります。日々の関わりや、何気ない会話の中で、ようやく出てくることがあります。
だからこそ、「オンライン教材があります」「レポートを提出すれば卒業できます」「スクーリングに参加すれば単位が取れます」だけでは、教育として十分ではありません。
大切なのは、その生徒をちゃんと見ている大人がいるかどうかです。
最近どうしているのか。どこで止まっているのか。何に少し反応したのか。どんな言葉を使うようになったのか。何に悩んでいるのか。次にどんな経験をすれば、その生徒の目が少し変わるのか。
こうした小さな変化を見られるかどうか。ここが、通信制高校では非常に重要です。
私は、通信制高校にこそ、人の関わりが必要だと考えています。
一見すると、通信制高校はオンラインやICTとの相性が良いため、「少ない教員数でも運営できる」と考えられがちです。しかし、現場感覚としては、むしろ逆です。
毎日登校していないからこそ、見えにくい。教室で顔を合わせる時間が少ないからこそ、小さな変化に気づきにくい。だからこそ、意識して関わらなければ、生徒は簡単に孤立してしまいます。
ここに、通信制高校の本当の難しさがあります。
通信制高校が広がること自体は、よいことです。選択肢が増えることは、生徒にとって大きな意味があります。
しかし、そこに教育の質が伴わなければ、ただ生徒数が増えるだけになってしまいます。
生徒数が増える。就学支援金がある。市場として成長する。
こうした視点は、経営上もちろん重要です。学校も事業である以上、持続可能な仕組みがなければ続きません。よい教育を継続するためにも、経営の視点は不可欠です。
ただし、教育を単なる数のビジネスにしてはいけません。
一人の生徒には、一人の人生があります。高校を卒業できればそれで終わり、ではありません。
卒業したあと、その生徒はどう生きていくのか。大学に進学するのか。専門学校に進むのか。就職するのか。海外に出るのか。自分で事業を始めるのか。あるいは、もう少し時間をかけて自分の道を探すのか。
そこまで見ようとしなければ、通信制高校の価値は十分に発揮されません。
これからの通信制高校に必要なのは、「卒業させる仕組み」だけではなく、「その先につなげる仕組み」です。
探究活動も同じです。
現在、多くの学校で探究学習が進められています。これは非常に重要な流れです。
しかし、探究も気をつけなければ、単なるイベントや発表で終わってしまいます。
大切なのは、探究をその生徒の進路や生き方につなげることです。
なぜそのテーマに興味を持ったのか。その問いは、どのような社会課題とつながっているのか。大学では、どの研究室が近いテーマに取り組んでいるのか。どのような企業や地域活動と関係しているのか。その経験を、志望理由書や面接でどのように語れるのか。
ここまでつながって、初めて探究は進路を支える力になります。
通信制高校の自由な時間は、探究を深めるには非常に向いています。しかし、生徒が一人でそこまで整理するのは簡単ではありません。
先生にとっても簡単ではありません。一人ひとりを丁寧に見たいと思っていても、担当する生徒数が多ければ限界があります。忙しい日々の中で、生徒の小さな関心や変化をすべて拾い続けることは、本当に難しいことです。
だからこそ、AIやICTをうまく使う必要があります。
ただし、AIが先生の代わりになるということではありません。私たちは、そこを丁寧に考える必要があります。
AIは、人の関わりを減らすためではなく、人の関わりを深くするために使うべきだと考えています。
wayslinksでも現在、こうした課題意識をもとに、AIを活用した探究・進路支援の仕組みづくりを進めています。
AIを使って、生徒の小さな関心や言葉を拾い上げる。その生徒が何に反応しているのか、どのような問いを持ち始めているのかを見えるようにする。そして、先生がその生徒に合った声をかけられるようにする。
「この生徒は、このテーマに関心を持ち始めているかもしれない」「この研究室の内容とつながるかもしれない」「この企業や地域活動に触れると、次の一歩になるかもしれない」「この経験は、志望理由書や面接で語れる材料になるかもしれない」
そうしたことを、生徒任せにも、先生の経験だけにもせず、仕組みとして支えられないかと考えています。
通信制高校の自由を、本当の意味で生かすには、自由を支える仕組みが必要です。
放っておく自由ではなく、可能性につながる自由にする。
ここが、これからの通信制高校における大きなテーマになると考えています。
立命館の参入は、通信制高校に対する社会の見方を大きく変える可能性があります。
これまで通信制高校に不安を持っていた保護者も、「大学が関わるなら」と関心を持つかもしれません。大学が通信制高校に関わることで、通信制高校全体に対する社会的なイメージも変わっていくでしょう。
それは、とても大きなことです。
ただし、やはり大切なのは看板ではありません。中身です。
どんな授業があるのか。どんな大人と出会えるのか。どんなプロジェクトに参加できるのか。どのように進路を考えるのか。困ったときに、誰が見てくれるのか。卒業後に、どんな力が残るのか。
そこを見なければ、本当に良い学校かどうかはわかりません。
これからの高校選びは、偏差値だけでは判断できなくなっていきます。
もちろん、偏差値や進学実績が不要になるわけではありません。基礎学力も大切です。大学進学を目指すのであれば、学力も必要です。
しかし、それだけでは足りない時代になります。
自分は何に関心があるのか。どんな環境なら力を発揮できるのか。どんな大人と出会いたいのか。高校時代にどんな経験を積みたいのか。その経験を、どんな未来につなげたいのか。
そうした問いを持ちながら学校を選ぶ時代になっていくはずです。
私は、通信制高校が「第一志望」になる時代は必ず来ると考えています。
それは、全日制高校に行けないからではありません。自分の学び方を選びたいからです。自分の時間を、自分の未来のために使いたいからです。学校の中だけでなく、社会とつながりながら学びたいからです。
通信制高校は、そうした前向きな選択肢になり得ます。
ただし、それを本物にできるかどうかは、これからです。
通信制高校が増えること自体は、ゴールではありません。大手が参入することも、ゴールではありません。大学の名前がつくことも、ゴールではありません。
本当に大切なのは、その学校で生徒がどう育つかです。
一人の生徒が、自分の可能性に気づく。自分の言葉で進路を語れるようになる。社会とつながる。自分の役割を見つけていく。
そこまで責任を持てるかどうか。
学校をつくる側には、これまで以上に覚悟が求められます。
立命館が通信制高校を構想するというニュースは、一つの教育ニュースであると同時に、高校教育全体への問いかけでもあります。
高校とは何のためにあるのか。学びとは何か。子どもたちに、どんな未来を手渡すのか。
通信制高校の広がりは、その問いを私たちに突きつけています。
私は、この変化を前向きに受け止めています。しかし、楽観はしていません。
ここからが本番です。
通信制高校が、単なる「もう一つの進路」ではなく、子どもたちが自分の未来をつくるための本物の学びの場になるかどうか。
そのためには、制度も、学校も、教員も、企業も、保護者も、これまでの高校教育の常識を一度問い直す必要があります。
通信制高校が第一志望になる時代。それは、もう遠い未来の話ではありません。
だからこそ、言葉だけで終わらせてはいけない。
本当にそう言えるだけの教育を、私たちはつくっていかなければならないと考えています。


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